「世界一幸福な国」として知られるフィンランド。その幸福度は、社会の隅々まで行き届いた合理的なシステムに支えられています。特に、日本と同じく高齢化が進む中で、テクノロジーを活用して「質の高いケア」と「高齢者の自立」を両立させる「介護DX」の取り組みは、世界から大きな注目を集めています。
日本の介護現場が人手不足の解消や業務効率化に奮闘する中、フィンランドの高齢者施設では、DXはどこまで進んでいるのでしょうか。
この記事では、フィンランドの介護DXが目指す独自の哲学を紐解きながら、施設や在宅ケアで実践されている最先端のテクノロジー活用事例を具体的に解説します。単なるデジタル化に留まらない、フィンランド流の「温かいDX」から、日本の介護の未来を考えるヒントを探ります。
1. 国民IDが基盤。「情報連携」でパーソナルなケアを実現

フィンランドの介護DXを理解する上で欠かせないのが、全国民が持つID番号を基盤とした医療・介護情報の完全なデジタル化です。この強力な情報インフラが、個別最適化された質の高いケアを実現しています。
全国統一の健康情報ポータル「Kanta」
フィンランドには「Kanta」と呼ばれる、全国民の健康情報を一元管理する電子プラットフォームが存在します。2010年以降、公的・民間のほぼすべての医療機関や介護施設がこのシステムに接続しており、個人の過去の病歴、処方箋、アレルギー情報、検査結果、介護記録などがID番号に紐づけて蓄積されています。
これにより、高齢者がどの地域のどの施設に入所しても、スタッフは本人の同意のもと、正確かつ網羅的な健康情報に即座にアクセスできます。これまでのように、施設を移るたびに家族が既往歴を説明したり、膨大な書類を準備したりする必要はありません。情報がスムーズに連携されることで、一人ひとりの状態に合わせた、継続的でパーソナルなケアプランの作成が可能になっているのです。
「自分の情報」へのアクセス権が自己管理意識を育む
「Kanta」のもう一つの特徴は、高齢者本人やその家族も、スマートフォンやPCからいつでも自分の健康情報にアクセスできる点です。自分の検査結果の推移を確認したり、電子処方箋の状況を把握したりすることで、高齢者自身の健康管理への意識を高める効果があります。情報が専門家だけに独占されるのではなく、本人と共有されることで、ケアが「されるもの」から「共に参加するもの」へと変わっていくのです。
2. 効率化の先にある「バーチャルケア」という新しい形
フィンランドの介護DXは、単なる記録の電子化に留まりません。デジタル技術を活用して、ケアのあり方そのものを変革する「バーチャルケア」の導入が積極的に進められています。
自宅がケアの拠点に。リモートでの「見守り」と「対話」
フィンランドでは、多くの高齢者が施設ではなく、自宅やサービス付き高齢者向け住宅で自立した生活を送ることを選択します。その生活を支えるのが「リモートケア」や「テレケア」と呼ばれるサービスです。
これは、ビデオ通話システムを活用した、看護師や介護士による遠隔でのケアサービスを指します。例えば、首都ヘルシンキでは、24時間対応のリモートケアセンターが設置されており、看護師がモニター越しに高齢者の健康状態を確認したり、服薬のサポートを行ったりしています。
- 朝の健康チェック:起床後、ビデオ通話で顔色や様子を確認し、今日の予定を共有する。
- 服薬の確認:決まった時間に連絡し、画面越しに正しい薬を飲んだかを見届ける。
- 簡単な体操やレクリエーション:画面を通じて、複数の高齢者が同時に参加する体操教室などを開催し、孤独感の解消や身体機能の維持を図る。
これにより、介護スタッフは移動時間を大幅に削減でき、より多くの高齢者と、より頻繁にコミュニケーションを取ることが可能になります。利用者にとっても、必要な時に専門家と顔を見て話せる安心感は、施設での画一的なケアとは異なる大きな価値を持っています。
専門医療へのアクセスを容易にする「デジタルヘルスビレッジ」
フィンランドには「デジタルヘルスビレッジ」という、大学病院が運営する先進的なオンライン医療プラットフォームも存在します。これは、専門的な治療やリハビリに関する情報、相談窓口、デジタルケアプログラムなどを、居住地に関わらず全国どこからでもアクセスできるようにしたものです。
高齢者施設の入居者が専門的な医療相談を必要とする場合でも、このプラットフォームを通じて遠隔で専門医のアドバイスを受けられます。地方の小さな施設にいても、都市部の大学病院が持つ最先端の知見やケアプログラムにアクセスできる。これは、デジタルが可能にした、地理的な制約を超えたケアの質の均一化と言えるでしょう。
3. 「人間中心」を貫く、フィンランドの介護ロボット観
日本で介護DXというと「介護ロボット」をイメージする人が多いかもしれません。しかし、意外にもフィンランドの現場では、日本の「装着型パワーアシストスーツ」のような、介護者の身体的負担を直接軽減するタイプのロボットはあまり普及していません。
ロボットはあくまで「人間の補助」
フィンランドの介護におけるテクノロジー活用の思想は、あくまで「人間中心」です。テクノロジーは、人間が行うケアの「質」を高めるための補助的なツールと位置付けられています。そのため、移乗介助のような身体が直接触れ合うケアは、できる限り人間が行うべきだという考え方が根強くあります。
一方で、以下のような、人間のケアを「補完」する形のテクノロジーは活用されています。
- 見守りセンサー:ベッドや床に設置され、睡眠状態や離床、転倒などを検知するセンサー。プライバシーに配慮しつつ、夜間の安全を確保します。
- GPS搭載の徘徊検知器:認知症の高齢者が安全に外出できるよう、位置情報を家族やスタッフに知らせるデバイス。
- コミュニケーションロボット:会話やレクリエーションの相手をすることで、高齢者の孤独感を和らげ、精神的な安定を促します。
「人にしてほしい」という気持ちへの配慮
介護ロボットが高額であるというコスト面の問題に加え、フィンランドでは「人にしてほしい」という高齢者の気持ちを尊重する文化がDXの方向性を決めています。テクノロジーにできることと、人間にしかできないこと。その線引きを明確にし、DXの目的が「人間の温かいケアの時間を創出すること」にあるという哲学が、社会全体で共有されているのです。
4. まとめ:データ基盤と対話が創る、フィンランド流DX
フィンランドの介護DXの最先端は、単一のロボットやアプリではなく、国民IDを基盤とした強力な「データ連携基盤」と、テクノロジーを活用して「対話」の機会を増やすという明確な哲学に支えられています。情報を国全体で共有し、個々に最適化されたケアを提供。リモート技術で物理的な距離を越え、専門家と利用者が顔を合わせる機会を増やす。そして、テクノロジーはあくまで人間の温かいケアを補助するツールと位置づける。このバランス感覚こそ、私たちが学ぶべき最大のポイントかもしれません。
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