少子高齢化が進む日本において、介護現場での人材不足や業務効率化の必要性はますます高まっています。こうした課題を解決する手段として注目されているのが「介護DX(デジタルトランスフォーメーション)」です。介護DXとは、デジタル技術を活用して介護サービスの質向上と業務効率化を同時に実現する取り組みを指します。
厚生労働省も「科学的介護情報システム(LIFE)」の運用を開始するなど、介護分野におけるデジタル化を推進しています。しかし、「実際にどう取り組めばよいのか」「導入効果はどの程度あるのか」といった疑問を持つ施設も多いのではないでしょうか。
本記事では、介護DXの導入に成功した複数の施設の事例を紹介し、成功のポイントや得られた効果について解説します。
事例1:特別養護老人ホームA施設のICT記録システム導入

施設概要と導入前の課題
A施設は、定員100名の特別養護老人ホームです。導入前は紙ベースの記録が中心で、以下のような課題を抱えていました。
- 記録作業に1日平均2時間以上を費やしている
- 記録の転記ミスが発生している
- 必要な情報の検索に時間がかかる
- 職員の残業時間が多く、離職率が高い
導入したシステムと取り組み内容
A施設では、タブレット端末とクラウド型介護記録システムを導入しました。導入にあたっては、以下のステップで進めました。
第一に、導入前の6ヶ月間をかけて現場の声を丁寧に集め、必要な機能を明確化しました。特に現場リーダー級の職員からの意見を重視し、システム選定に反映させています。
第二に、一部のユニットでの試験導入を行い、問題点を洗い出しました。試験導入期間中は毎週フィードバックミーティングを開催し、操作性や記録項目の見直しを繰り返しました。
第三に、全職員を対象とした段階的な研修プログラムを実施しました。特にICT機器の操作に不安を感じる高齢職員向けには、マンツーマンでのサポート体制を整えました。
最後に、記録データを活用したケアカンファレンスを定期的に開催し、システム導入の目的が「単なる業務効率化」ではなく「ケアの質向上」にあることを全職員に浸透させました。
導入の効果
システム導入から1年後、以下のような効果が見られました。
- 記録業務の時間が平均40%削減(1日あたり約50分の時間短縮)
- 残業時間が月平均10時間減少
- 転記ミスによるインシデントが90%減少
- 新規採用者の定着率が15%向上
- 入居者との直接対応時間が1日平均30分増加
特筆すべきは、記録データの分析により、入居者の状態変化の早期発見につながったケースが複数あったことです。例えば、システムが検知した「食事摂取量の緩やかな減少傾向」から、早期に嚥下機能の低下を把握し、適切な介入を行えたケースなどがありました。
成功のポイント
A施設の介護DX導入が成功した要因として、施設長は以下の点を挙げています。
「導入前の準備期間を十分に取り、現場の声を反映したこと。そして何より、『なぜDXを導入するのか』という目的を明確にし、全職員と共有したことが大きかったと思います。記録時間の短縮は手段であって、目的は『より良いケアの提供』であることを繰り返し伝えました。」
事例2:訪問介護事業所Bのモバイル端末活用
施設概要と導入前の課題
B事業所は、登録ヘルパー50名を抱える中規模の訪問介護事業所です。導入前は以下のような課題を抱えていました。
- 訪問後の事務所での記録作業が負担
- 報告書作成のために毎日事務所に戻る必要がある
- 利用者情報の共有が不十分で、サービスの質にばらつきがある
- シフト調整や急な変更対応に時間がかかる
導入したシステムと取り組み内容
B事業所では、各ヘルパーにスマートフォンを配布し、訪問介護専用アプリを導入しました。このアプリは以下の機能を備えています。
- GPSによる訪問記録(自動打刻)
- 音声入力による訪問記録
- 写真添付機能(傷の状態等の記録)
- リアルタイムな情報共有機能
- シフト管理機能
導入にあたっては、年齢層が高いヘルパーが多いことを考慮し、以下の取り組みを行いました。
まず、デジタル機器に慣れているヘルパー10名を「デジタルサポーター」に任命し、研修後に他のヘルパーをサポートする体制を構築しました。
次に、導入前に全ヘルパーを対象とした意識調査を実施し、デジタル化への不安や懸念点を洗い出しました。その結果を踏まえ、「単純で分かりやすい操作性」を重視したアプリを選定しています。
さらに、3ヶ月間の試験期間を設け、実際の業務での使用感をフィードバックし、操作マニュアルの改善や追加研修を実施しました。
導入の効果
システム導入から半年後、以下のような効果が見られました。
- 事務所での記録時間が90%削減
- ヘルパー1人あたりの訪問可能件数が平均1.5件増加
- 記録の質(具体性・詳細さ)が向上
- シフト調整の時間が70%削減
- ヘルパーの満足度が向上(特に「移動時間の削減」への評価が高い)
特に注目すべきは、「以前はほとんど書かれなかった利用者の些細な変化や気づき」が記録されるようになり、早期の状態変化把握につながっているという点です。
成功のポイント
B事業所の管理者は成功のポイントとして以下の点を挙げています。
「スマートフォンの操作に不安を感じるヘルパーへの丁寧なフォローが鍵でした。最初は『使いこなせない』と不安を訴える方もいましたが、『デジタルサポーター』による継続的なサポートで徐々に慣れていきました。また、『記録が楽になる』という直接的なメリットをヘルパー自身が実感できたことも大きかったと思います。」
事例3:デイサービスCのデータ活用による科学的介護の実践
施設概要と導入前の課題
C施設は、定員30名の通所介護施設です。導入前は以下のような課題を抱えていました。
- 提供するサービスの効果検証ができていない
- 個々の利用者に合わせたプログラム提供が不十分
- LIFEへのデータ提出に手間がかかる
- 加算算定のための根拠資料作成に負担がある
導入したシステムと取り組み内容
C施設では、以下の機能を備えた「科学的介護支援システム」を導入しました。
- バイタルデータの自動記録・分析
- 機能訓練の効果測定・可視化
- AIによる状態変化予測
- LIFEへのデータ連携
導入にあたっては、以下の取り組みを行いました。
第一に、施設の理念である「自立支援」と科学的介護の親和性について、全職員向けの研修会を開催しました。データ活用の目的が「業務効率化」だけでなく「より効果的な自立支援」にあることを共有しています。
第二に、導入前に収集すべきデータと活用方法を明確化するワークショップを実施しました。現場職員が「知りたい情報」を整理し、システム導入後のデータ活用イメージを具体化しています。
第三に、データ分析担当者を2名選出し、専門的な研修を受講させました。この担当者が中心となって、収集したデータの分析と現場へのフィードバックを行う体制を構築しています。
導入の効果
システム導入から1年後、以下のような効果が見られました。
- LIFE関連加算の取得率が100%に
- 利用者の機能維持・改善率が15%向上
- 個別機能訓練の効果検証が可能になり、プログラム改善につながった
- 利用者・家族への説明が数値データに基づいて行えるようになり、満足度が向上
- 職員の「科学的介護」への理解と関心が高まった
特に注目すべきは、データ分析によって「どのような利用者にどのプログラムが効果的か」という知見が蓄積され、より個別性の高いサービス提供につながっている点です。
成功のポイント
C施設の施設長は成功のポイントとして以下の点を挙げています。
「『なぜデータを集めるのか』『収集したデータをどう活用するのか』という目的と活用イメージを明確にしたことが重要でした。単にシステムを導入するだけでなく、収集したデータを定期的に分析し、ケアに反映するサイクルを作ったことで、職員の意識が変わりました。今では職員自ら『このデータも取ってみよう』と提案するようになっています。」
介護DX導入の共通成功要因
3つの事例から見えてきた介護DX導入の共通成功要因は以下の通りです。
1. 明確な目的設定と全職員との共有
成功した施設に共通するのは、「なぜDXを導入するのか」という目的が明確で、それが全職員に共有されていることです。単なる「業務効率化」や「コスト削減」ではなく、「ケアの質向上」「利用者のQOL向上」といった本質的な目的が設定されています。
2. 現場主導の選定・導入プロセス
トップダウンではなく、実際にシステムを使用する現場職員の声を取り入れたボトムアップ型の導入プロセスを採用しています。特に「デジタルツールの使用に不安を感じる職員」の声に耳を傾け、研修やサポート体制を充実させている点が共通しています。
3. 段階的な導入と継続的な改善
いきなり全面導入するのではなく、試験導入期間を設けて問題点を洗い出し、継続的に改善を行っています。また、導入後も定期的な振り返りと改善のサイクルを回している点も成功のポイントと言えるでしょう。
4. データ活用の文化醸成
単にデジタルツールを導入するだけでなく、収集したデータを分析し、ケアの改善に活かす「データ活用の文化」を醸成しています。定期的なデータ分析会議やケースカンファレンスでのデータ活用など、組織的な取り組みが行われています。
介護DX導入を検討する施設へのアドバイス
最後に、これから介護DXの導入を検討している施設への具体的なアドバイスをまとめます。
1. 現状分析から始める
まずは自施設の課題を明確にしましょう。「どの業務に最も時間がかかっているか」「どのような情報共有がうまくいっていないか」など、現状の業務フローを分析することが重要です。課題が明確になれば、導入すべきシステムの優先順位も見えてきます。
2. 小さく始めて成功体験を作る
すべての業務を一度にデジタル化するのではなく、効果が見えやすい部分から段階的に導入することをお勧めします。例えば「記録業務」や「シフト管理」など、比較的効果が出やすい業務から始め、成功体験を積み重ねることが大切です。
3. デジタル化と並行して業務プロセスも見直す
既存の業務プロセスをそのままデジタル化するのではなく、業務プロセス自体の見直しも同時に行うことが効果的です。「この記録は本当に必要か」「この承認プロセスは簡略化できないか」など、業務の本質に立ち返った見直しを行いましょう。
4. 職員のデジタルリテラシー向上に投資する
システム導入と並行して、職員のデジタルリテラシー向上のための研修やサポート体制の構築も重要です。特に年齢層が高い職員向けには、丁寧な研修とフォローアップが欠かせません。「デジタルサポーター」のような、現場でのサポート役を設けることも効果的でしょう。
まとめ
介護DXの導入は、単なる「業務のデジタル化」ではなく、テクノロジーを活用して「ケアの質を高める」ための取り組みです。成功の鍵は、明確な目的設定、現場職員の参画、段階的な導入、そしてデータ活用の文化醸成にあります。
本記事で紹介した事例のように、介護DXの成功は「テクノロジーの導入」だけでなく「組織文化の変革」にもかかっています。デジタル技術はあくまでツールであり、それを活かすのは人です。
人材不足や高齢化が進む中、介護DXは避けて通れない道となっています。しかし、その本質は「介護の質を高め、利用者のQOLを向上させる」という介護の基本理念に立ち返ることにあります。テクノロジーを味方につけ、「より良いケア」を提供するための取り組みとして、介護DXに挑戦してみてはいかがでしょうか。
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